2012年11月21日水曜日

上りと下り どっちがえらい?

電車のホームでは列車の方向について「上り」と「下り」という表現がよく使わ
れます。多くの場合、「上り」は東京へ近づく場合を、「下り」は東京から遠ざ
かる場合を意味しますが、江戸時代以前は「上り」と言えば京都に近づくことを
意味していました。

「京の都に近い方がより文化的だからエライのだ。」という感覚が背景に無けれ
ば、「上下」の表現にはなりにくいのではないか思ったりします。
先週は「毛の国」のお話でした。
京の都に近い群馬県が「上毛国」、遠いほうの栃木県が「下毛国」の国と言われ
ていました。

では古代の千葉県ならどうでしょう。
上総の国と下総の国はいずれも千葉県ですが、どちらが北でどちらが南かおわか
りですか?

現代の感覚では房総半島の根元にある方が京都に近いと思ってしまいます。
それならば、千葉県の北側が上総の国になりますね。
しかし実際はその逆で、南側が上総の国、東京に近いほうが下総の国。
つまり、千葉の先っぽの方が東京よりもエライ、という感覚があったのだと想像
されます。

なぜかと言うと、古代においては海の道が幹線道路だったので、京から東国へ行
く場合、三浦半島から房総半島の富津あたりに向かい、そこから南北に分かれる
ルートが一般でした。つまり、房総半島の南部の方が京に近かったということです。
東海道という言葉は、本来この地域が海の道でつながっていたことを示唆している
わけです。

古代の千葉県は「フサの国」と呼ばれていました。
なので、「上つ総(かみつフサ)」「下つ総(しもつフサ」という国名となります。

房総半島の先っぽにあるちっぽけな「安房(あわ)」の国にも「房(フサ)」の字
が使われています。
太平洋側を船で東北地方へ向かう際に安房の国を必ず通過します。
安房の国が面積が小さいながらも一国の扱いを受けているのは、海の関所として経
済的に重要な地域だったからでしょう。
当時の感覚では、東京都周辺は人が通行しない未開のエリアだったということです。


(日野 孝次朗)