2012年11月30日金曜日

排出者の責任(のぞみ総研メルマガ2012.5.30より)

 利根川水系の浄水場の水道水から、国の基準を超えるホルムアルデヒドが
検出され、多くの地域で断水するなどの被害を出した事件については、上流
域にある産業廃棄物処理業者が、原因となった化学物質であるヘキサメチレ
ンテトラミンが入った廃液を流したことが原因で、この物質と浄水場で加え
られる塩素が反応してホルムアルデヒドができてしまったということがわか
ってきました。

 廃液を流した産業廃棄物処理業者は、ヘキサメチレンテトラミンなどの
物質が入っていることを知らされずに排出事業者からの処理を請け負った
ものであるとの認識をしているようです。排出事業者となるメーカーは、
「明確な指示や表示がなくても、業界の常識として」廃液の中に含まれて
いる窒素の量などからヘキサメチレンテトラミンに対応した処理をするこ
との必要性がわかるはずだと主張しています。

 廃棄物処理及び清掃に関する法律(廃掃法)第3条は、「事業者は、その
事業活動に伴って生じた廃棄物を自らの責任において適正に処理しなければ
ならない」と定めていますので、今回の事件では排出事業者であるメーカー
もその責任を逃れることはできません。

 廃掃法は、度重なる改正の中で排出事業者の責任がその都度大きなものと
されてきました。委託先か起こした不祥事でも、排出事業者が実名で公表さ
れたりすれば企業にとってとても重要なレピュテーション(評判のこと)を
大きく毀損することにもなりかねないのです。

(今村 正典)

はるばる来たぜ 函館(のぞみ総研メルマガ2012.5.30コラムより)





今日は出張で、13年ぶりに函館に来ています。

北海道の南西に突き出た渡島半島(おしまはんとう)は、
本土に噛みつこうと口を開けているような形です。
そこに一本飛び出た奥歯のような亀田半島が函館の
地勢の特色を形成しています。

この小さな半島が、荒海から船を守る天然の良港の役割を
果たし、函館らしさを育てて来ました。
その函館には、いろいろな顔があるようです。



本土と北海道との連絡拠点として発展し、古くは本土と
蝦夷地との交易拠点として、江戸期には松前奉行がおかれて、
北前船を介する物流拠点として繁栄しました。




幕末には開港場として西洋文化を吸収する窓口となり、
榎本武揚率いる幕軍に占拠されてから函館戦争が終わる
まで、蝦夷共和国の首都とされました。




20世紀になると、北海道の防衛と津軽海峡監視の目的で
函館山に津軽要塞がおかれ、重要な軍事拠点としての役割
を担い、函館山は終戦の年まで入山禁止となっていました。




北洋漁業と水産業の一大拠点でもあり、風光明美な観光
名所としても高い人気があり、北島三郎さんなど芸能関係者
と縁のある街としても知られています。



バブル崩壊後は産業の衰退が著しいようで、私が以前訪れ
た頃よりも元気が無くなっているような印象ですが、これほど
たくさんの特色を併せ持った街も、ちょっと珍しいと思います。



町全体に歴史の風雪をしのばせる気品が感じられます。
風はおだやかで、そよぐ風もすがすがしく、静かで心落ち
着く街です。
考えれば考えるほど、奥深いところだなあと思うのでした。

(日野 孝次朗)





2012年11月28日水曜日

冬はいつから

先日、冷たい土砂降りにあって寒い思いをしました。
それ以来、ズボンの中にはステテコをはいています。
いや、最近は「インナー」などと言うのですね。
英語にすると、なんだか許された気分になります。

冬は12月、1月、2月までの期間と考えるのが一般的です。
あと数日で冬になってしまうのですね。
ところで、「2012年冬」と表記した場合は、いつからいつまでを意味する
のでしょうか。

一般的には1月と2月を含む年で表記するようです。
ということは、「2012年冬」というのは2011年12月から2012年2月までと
いうことで、とっくに過ぎてしまいました。
もうすぐ始まる冬は「2013年の冬」ということになります。

ちなみに、「冬日」という言葉は<一日の最低気温が0℃以下の日>
だそうで、「真冬日」は最高気温が0℃以下の日のことだそうです。

これからやってくる冬の気温はほぼ例年どおりで、最低気温はあまり低く
ならないとのことですが、積雪は多くなるかも、とニュース番組で解説
していました。


(日野 孝次朗)

釣山紀行 H24 その14


今年の銀山湖はずっとこんな晴天だった。

一週間雨なしキャンプは初めてだな。

空の色は青、浮かぶ雲は白、これこそが夏って感じしませんか。

このテントは、食事兼宴会棟なので、夜は明るく賑やかです。






 今回は釣り場面が少なくて申し訳ありません。

去年の豪雨で豊かな川が痛み、

皆様に紹介するには忍びない心境でしたので、

支障のない程度にさせて頂きました。











来年はきっと、

中荒沢川も例年のように甦っている

はずですので、来年は良い場面を紹介

出来ることをお約束致します。



(つづく)







2012年11月23日金曜日

コンプガチャとコンプライアンス(のぞみ総研メルマガ2012.5.23より)

 携帯電話などを利用したソーシャルゲームのコンプガチャの規制について、
消費者庁は景品表示法に照らして違法であるとの認識を示しました。
実際には、グリーやDeNAといった提供会社はすでにコンプガチャの廃止を
打ち出していますので、全体として大きな混乱は生じない見込みとなっています。

 しかし、今回の動きを見てみると当初はマスコミの報道にはじまって、正式な
判断が出るまでは、実は単なる行政側の示した見解なのであって、必ずしも違法
だった訳ではありません。
にもかかわらずあたかも行政による規制が行われたかのように一斉に事業の廃止
に動いたというのは、それぞれの企業が「コンプライアンスを重視」したからで
あるのは間違いありません。

 行政による「法的根拠のない事前規制」がここまで効果を生じさせてしまうと、
企業側のコンプライアンス意識を利用した行政による事前規制という手法が定着
してしまうのではないかという危惧を感じています。

 コンプライアンスが事業を萎縮させてしまうのでは、本末転倒というしかあり
ません。
企業側としても、単に行政からの圧力を受け入れてしまうのではなく、しっかり
とした法的判断の下に、コンプライアンスという言葉だけに惑わされることがな
いようにしなければならないのです。


(今村 正典)

金環日食(2012.5.23のぞみ総研メルマガコラムより)

月曜日は関東地方では137年ぶりといわれる金環日食がありました。
私自身は、1987年に沖縄であった金環日食を見ていますので約25年
ぶりということになりました。

前回の沖縄では、日食の最初から最後まで抜けるような青空の中で見る
ことができたのですが、今回は朝からけっこう厚い雲に覆われていて、この
ままでは見られないかもしれないなあと思いながら空を見上げていました。
でも、ちょうど金環となる(第二接触といいます)直前から金環の終わった
(第三接触といいます)直後までの間は雲が切れて、日食を見ることが
できました。
薄い雲の流れる空に浮かぶ金色の輪というのも、とても幻想的でした。
関東地方では、多くの地域で似たような状況だったみたいです。

 雲が厚いからといって、途中で切り上げていれば見ることはできなかった
のですから、あきらめずに信じて待ってみるというのも、意外に面白いこと
が待っているのかも知れません。


(今村 正典)

2012年11月21日水曜日

上りと下り どっちがえらい?

電車のホームでは列車の方向について「上り」と「下り」という表現がよく使わ
れます。多くの場合、「上り」は東京へ近づく場合を、「下り」は東京から遠ざ
かる場合を意味しますが、江戸時代以前は「上り」と言えば京都に近づくことを
意味していました。

「京の都に近い方がより文化的だからエライのだ。」という感覚が背景に無けれ
ば、「上下」の表現にはなりにくいのではないか思ったりします。
先週は「毛の国」のお話でした。
京の都に近い群馬県が「上毛国」、遠いほうの栃木県が「下毛国」の国と言われ
ていました。

では古代の千葉県ならどうでしょう。
上総の国と下総の国はいずれも千葉県ですが、どちらが北でどちらが南かおわか
りですか?

現代の感覚では房総半島の根元にある方が京都に近いと思ってしまいます。
それならば、千葉県の北側が上総の国になりますね。
しかし実際はその逆で、南側が上総の国、東京に近いほうが下総の国。
つまり、千葉の先っぽの方が東京よりもエライ、という感覚があったのだと想像
されます。

なぜかと言うと、古代においては海の道が幹線道路だったので、京から東国へ行
く場合、三浦半島から房総半島の富津あたりに向かい、そこから南北に分かれる
ルートが一般でした。つまり、房総半島の南部の方が京に近かったということです。
東海道という言葉は、本来この地域が海の道でつながっていたことを示唆している
わけです。

古代の千葉県は「フサの国」と呼ばれていました。
なので、「上つ総(かみつフサ)」「下つ総(しもつフサ」という国名となります。

房総半島の先っぽにあるちっぽけな「安房(あわ)」の国にも「房(フサ)」の字
が使われています。
太平洋側を船で東北地方へ向かう際に安房の国を必ず通過します。
安房の国が面積が小さいながらも一国の扱いを受けているのは、海の関所として経
済的に重要な地域だったからでしょう。
当時の感覚では、東京都周辺は人が通行しない未開のエリアだったということです。


(日野 孝次朗)

中国の労働政策と日本企業

 20日付の日経新聞の速報で、中国商務省が発表した10月単月の対中投資が
前年同月比で32.4パーセント下がったことが報道されていました。大きな原因
は、もちろん9月半ばの尖閣諸島に関する反日デモで日系企業が大きな被害を受
けたことにあります。しかし、これ自体は日本企業が中国から撤退をする大きな
引き金をひいただけで、既に少しずつ日本企業が中国からの撤退を模索する動き
が広がりつつありました。

 元々、中国に日本企業が進出していったのは「世界の工場」として安価な労働
力が求められていたからです。中国の経済成長に伴って労働者の賃金が上昇し、
中国での生産が必ずしも低価格ではなくなってきて、更に賃金アップを求める労
働者の労働争議が数多く発生するようにもなってきました。こういった流れを受
けて労働者の労働契約に関して、2007年に「中華人民共和国労働契約法」が
制定されました。

 中国の労働契約法の特徴は、「労働争議調停仲裁法」などと共に、労働者の権
利保護に重点が置かれている点にあります。中国政府は2011年から2015
年の第十二次五ヵ年計画で、労働者の権利保護を重視する政策を実施する姿勢を
示していますので、今後も労働者の権利保護に関する法規制が強化されていくと
思われます。
 こうした中国政府の労働政策は、日本から中国に進出した企業にとって、これ
までの低賃金で豊富な労働力を活用し生産拠点とするという経営戦略の大きな見
直しを迫るものとなり、いくつかの企業では中国から撤退し、賃金の安い他の
ASEAN諸国などに進出するという動きもあります。

 しかし、労働者を解雇するには退職金と似た性質を持つ「経済的補償」が法定
されており、撤退するにしても周到な準備と、専門的な知識が求められるのです。


(今村 正典)

日本風カレー

先週、スリランカ経済についての研究会に参加しました。

 スリランカといえば、知っての通り、インドの隣にある島国です。南アジア全体に
そうですが、スリランカでも料理といえば、もちろんカレー。現地に在留している日
本人が困るのも、「肉でも魚でも何でもカレー味」というところです。

 そんなスリランカで、日本のカレーはとても人気があるのだそうです。カレーの本
場だというのにわざわざ日本のカレーでもないでしょうと聞いてみると、スリランカ
ではリンゴだのハチミツだのが入っていたりこくまろだったりする日本のカレーは、
カレーではなくて「日本の料理」だと思われているとのこと。カレーと書いてあるの
でカレーなのですが、言ってみれば「curry」じゃなくて「カレー」ということ
なのですという話です。

 カレーの本場で人気の「日本風カレー」、本場で亜流のものが売れるはずがないと
いう常識にとらわれてはいけないという、ビジネスの基本を改めて確認する機会とな
りました。


(今村 正典)

2012年11月16日金曜日

微生物とのつき合い(のぞみ総研メルマガ2012.5.16コラムより)

私は子どもの頃から水槽をいじるのが大好きです。
ペットは主に魚類ですが、エビや貝、ミジンコなども気になります。

いじりだした当初は、水槽が目に見えない微生物に支配されていることに
気がつかなかったので、水が汚れてくるとあわてて「清掃」を行っていました。
水中生物を飼うコツは「そうじ」のコツでもあります。
基本は「余計なことをしない」ということです。

微生物の重要性を知らない人は、水槽の水を入替えたり、水槽を丸ごと
洗剤でゴシゴシ洗ったりしますが、これではいつまでたっても水質が安定
しません。
なぜなら、人間がキレイに殺菌したら、いつまで経っても微生物の役割が
安定しないからです。

水中にはたくさんの種類の微生物がいて、それぞれの役割があります。
水の中のゴミが増えれば、そのゴミを分解する微生物が増加し、それを
エサとする微生物も現われ、そういった活動の過程において水質が変化します。
その間、コケが生えたり、変な色やニオイが出たりもしますが、最終的には
「安定」へ向かってゆきます。

微生物が定着して安定している水は、薄い黄緑色になります。
水道水よりも幾分トロっとしたようなさざなみを立てます。
水槽を新たにつくるときは、そのようなトロっとした水をタネにして
「生きている水」を育ててゆきます。

水が生きている水槽では、エサや死骸も微生物のおかげで一晩で消えてなく
なります。
チーズ、納豆、ナレ寿司など、私が大好きな発酵食品も微生物の作用で作られます。
人間の腸内細菌も不安定になれば病気のもとです。
というわけで、今日もヨーグルトを飲みながら微生物に感謝。。。


(日野 孝次朗)

2012年11月14日水曜日

ミスマッチ

 先日、久々にお世話になった先生を訪ねて母校の大学を訪問しました。大学祭の最
中ということでとてもにぎやかな雰囲気でしたが、学生数も減少傾向ということで自
分が学生だった頃に比べると、少しおとなしくなっているようにも感じました。

 大学を訪問した理由は、学生の就職についてせっかくこれだけ多くのOBがいるの
だから、よく知っている仲間内で後輩達に向けて「就職」について話をしてほしいと
いうお話を先生から聞いて、その企画を具体的に考えるためです。

 学生の就職というと、どうしても「知っている」大企業に向きがちで、最初から中
小企業への就職という選択肢を選ぶことがないのは、どこでも同じだと思います。そ
のため、一部上場などの企業には学生のエントリーが殺到してしまいます。

 中小企業は、優秀な新卒を採用したいのですがなかなかその機会がありません。一
部では共同求人なども行っていますが、こういった取り組みはまだ多くはありません
。これは、学生が大企業ばかりに目を向けているからという面もありますが、実は中
小企業のほうも自らの存在をアピールしていないという面もあります。

 先日、ある会社の社長さんが
 「よく考えてみると自分の会社って、誰も知ってるわけないんですよね。」
 と言っていましたが、まさにその通りで、知られていなければ就職の選択肢にもな
りえません。雇用のミスマッチといいますが、企業側もやりがいのある職場としての
会社をPRしてこなかったのかもしれません。

 早くから中核の人材として働くことができるのは、もちろん中小企業です。このあ
たりの魅力を企業の側から学生たちに発信していくことで、「最初から中小企業」を
目指す学生がでてくればと思っています。


(今村 正典)

釣山紀行 H24 その13



初日のキャンプサイト。

初日は三人だけのキャンプ。

2台の車と2張りのテントは僕達のもので、

見渡す限り他人は居ない。






ここは炊事棟。

写っている人は全て僕達の関係者です。

下のサイトに張られているテントは貸しテントで、

誰も利用者が居ない。

去年の豪雨でこのサイトが甚大な被害を受け、

このテントの半分が土石流に潰されてしまったそうです。






この川は荒沢岳の雪代なので、水温は4℃、

高い時でも6℃を越えたことはない。

大人は10秒と川の中に入っていられない。


(つづく)

2012年11月9日金曜日

相模の大凧(のぞみ総研メルマガ2012.5.9コラムより)

5月4日、5日で相模川の河原にて「相模の大凧まつり」が開催されました。
昨年は震災のため行われなかったので、2年ぶりです。

天保年間(1830年頃)から継承される伝統のある行事で、8間凧(14.5m四方、
950キロ)およそ128畳の日本一の大きさで、今年は「潤風」と「絆」という
文字が描かれました。
私の所属する商工会議所青年部がこの行事に参加したのが約10年前です。
青年部も4間凧を毎年制作して揚げさせて頂いています。

凧揚げというレベルの話ではなく、危険の伴う行為なので現場は怒号が飛び
交います。
地元の方々と青年部メンバーと一緒にロープを引っ張り、猛ダッシュ!
今年は7回チャレンジしました。
今年の最長滞空時間は3回目の28分50秒。
大空に舞う大凧は圧巻です。揚がったときは観客から歓声がわき上がり、
引き手の我々も抱き合って大喜びします。

今年はタイ国営テレビ局が取材に来ており、取材人の方々も引っ張って
くれました。
仲間の1人がインタビューを受けていました。
放送が見られないのが残念ですね・・・。

毎年とても楽しんで参加している行事ですが、一点だけ問題が・・・(^^;)。
それはお祭りなので多少のお酒が入ります。
その状態でロープを引っ張って猛ダッシュするので、ヘトヘトになります。
それもまた楽しいのですが(笑)。


(小峰 望)

2012年11月7日水曜日

なぜ「合衆国」なの?

アメリカ大統領選挙のニュースを見ていて、ふと思ったのですが、アメリカという
国を「合衆国」と呼ぶのはなぜでしょう。

アメリカ政府を英語では「United States」と表記していますが、これは複数の国の
連合体という意味と思われます。
「United States」はメキシコ政府も使っていて、こちらも日本では「メキシコ合
衆国」となります。

一方で「ロシア連邦」「イギリス連邦」「ドイツ連邦共和国」などのように、複数の
政府を統合した国家体制を「連邦」と表記する通例もありますが、こちらは英語の
「federal」に対する訳としてもっぱら使われているようです。つまり、英語表記に
対応して「合衆国」と「連邦」を使い分けています。

でも、アメリカの政府の機関であるFBIのことを「連邦捜査局」と言うし、議会のこ
とを州議会と区別して「連邦議会」と表記したりしています。実態としては連邦政府
だということです。
そもそも「United States」がなぜ「合衆国」という表記なのかが気になったので、
ちょっと調べてみると、その理由ははっきりしていないようです。

民衆が合わさった体制、つまり共和制を意味しているとか。
本来は「衆」ではなく「州」だった、つまり複数の国が合体したのだとか。
由来にいろいろな説があってよくわからないのは、ペリーが来日した幕末当時から
なんとなく「合衆国」という言葉を使ってしまっていたからだと思われます。

日本にとって歴史的にも現実的にも重要な国であるのに、その呼び方はどうにも釈然
としないのですが、いまさら「アメリカ連邦」とも言いにくいでしょうから、この話
はこれで終わりにします。
誰かご存知の方がいらしたら教えてください。


(日野 孝次朗)

時間外手当が740万円?

 先週、埼玉県職員の時間外手当が740万円(年間の時間外労働時間が最
長2017時間)との見出しの記事がありました。
 税務システムの更新作業があって一部職員の負担が集中したためとのこと
でした。

 労働時間が本当のところ年間2000時間になるものでしょうか。単純に
考えると、平日1日5時間の時間外労働を行うと、月約100時間になります
ね。土曜に13時間の時間外労働をして月4日とすれば、100+52=1
52時間となりますので、ありうることとなりそうです。

 では、その労働時間の実態はどうでしょうか。休憩時間や移動時間はどう
扱うべきでしょうか。

 昼の1時間の休憩以外に休憩時間がないのでしょうか。たばこを吸ったり、
コーヒーを飲んで一休みしたり、出張などの移動時間もありましょう。

 そこで多くの会社では、休憩時間は所定の就労時間のほかに設けています。
所定の終業時刻の後、残業開始までの15分間(または30分)を休憩に、
夜の食事時間ための休憩時間を設けることもあります。深夜労働であれば深
夜の休憩時間も設けるものです。1日12時間以上も張りつめた状態であれ
ばそれこそ健康面で問題ありと考えられますね。

 これらの休憩時間や移動時間など考慮して労働時間や時間外労働時間をき
ちんとすることは実はかなりやっかいなものです。

 当のぞみ事務所では、これら休憩時間や移動時間を考慮した簡易な計算を
行う勤務表を開発中(一部試作品を提供中)です。労働時間をはじめ企業法務
(コンプライアンス)を総合的に支援していきます。これからもご期待くださ
い。


(社会保険労務士 富田 保宏)

貝殻で運命を切り開いた少年

明治維新から3年後の1871年、横浜港に降り立った17歳の少年がいました。
ロンドンの貧しいユダヤ人一家で、11人兄弟の10番目として育ったマーカス・
サミュエルは、高校卒業の記念に父親からもらった三等船室の片道切符で、
縁もゆかりも無い極東の島国へ一人でたどり着いたのでした。

ポケットにはたった5ポンド。宿代がないので湘南三浦海岸の無人小屋に住み
ついて来日後の数日を過ごしました。
フト浜辺に目をやると、見たことのない美しい貝殻が落ちています。この貝殻
に自分で細工を加えてロンドンの父親に送りました。

父親はこの貝殻をロンドンの町で売り歩きました。当時のロンドンでは
その貝が珍しかったらしく、ボタンやたばこケースなどの装飾として飛ぶよう
に売れました。父親は店を開き、少しずつ店は大きなって、少年はひと財産を
築くことができました。

そのお金で23歳のとき、横浜で「マーカス・サミュエル商会」を設立し、
石油の採掘事業に進出しました。
事業がうまくゆくと造船の専門家を招いて、世界で初めて石油運送用のタンカー
をデザインし、世界初の「タンカー王」となりました。
彼は自分のタンカーの一隻ごとに、日本の海岸で拾った貝の名前をつけました。

1894年、日清戦争が勃発すると、軍需物資の供給で日本政府に貢献しました。
また、台湾のアヘン中毒患者対策としてアヘン公社を設立しました。これらの
功績により明治天皇から勲一等旭日大綬章を授与されました。

英国に戻ると親日家の名士として厚遇を受け、ロンドン市長になりました。
1921年、男爵の爵位を授けられ貴族となりました。

しかし英国国内では、ユダヤ人が石油業界で君臨していることに反発が強まり、
会社を手放すことになりました。
彼は手放すに際して、会社が存続する限り「貝のマーク」を商標とすること、
という条件をつけました。

そのマークが、今でもガソリンスタンドでおなじみの「昭和シェル石油」の
マークです。


(日野 孝次朗)

釣山紀行 H24 その12


 弟子が帰った後(釣りの最終日)、

小さい人とあの滝下へ釣りを楽しみに行ったが、

魚影はあっても毛鉤に見向きもしない。



そうか、弟子も僕の毛鉤を使っているので、あれだけ攻められれば、岩魚も見切るよな。



最終日はここで初めての坊主でした。



 





別カメラで撮った写真を何枚か紹介します。

中荒沢川に掛かる唯一の橋。

 この橋、名前あるのかな、今まで気にしたこともなかった。

来年調べて見よう。

2012年11月2日金曜日

ご冗談でしょうファインマンさん(のぞみ総研2012.5.2コラムより)

「ご冗談でしょうファインマンさん」という変なタイトルの本ですが、
まだ学生だった頃、友人のアパートでこの本を見た覚えがありました。
その時には、特に興味をそそられることもなく、すっかり忘却の彼方に
あったのですが、先日ふと気になって文庫となったこの「ご冗談でしょう
ファインマンさん」を読んでみました。

 著者であるリチャード・P・ファインマンは、理論物理学者として量子
電磁力学の発展に貢献したとして、日本の朝永振一郎、アメリカのジュリ
アン・S・シュウィンガーとともに1965年ノーベル物理学賞を共同受賞
した人物です。

 量子電磁力学は、半導体技術に応用されるなど現代の工業技術に欠かせ
ない理論となっています・・・。といっても、理論物理という学問は、文系
の私にはさっぱりわからない分野で、学生の頃にあまり興味を感じなかった
のも、それが原因なのかもしれません。

 ですが、今になって読んでみると、ビジネス書なんかを読んでいるより
非常に面白い内容で、移動時間などを使ってあっという間に上下巻とも読
んでしまいました。
人生後半に差し掛かろうかという今ではなくて、学生の頃に読んでおけば
よかったと少し後悔しています。

 ロスアラモスで若手の科学者として原爆の研究をしている当時の話は、
日本人としてはとても複雑な気持ちになりましたが、全体としては彼がと
ても好奇心に満ちていて、本当の姿を知りたがることが好きな人物だった
ことが描かれています。

 知識を「覚える」のではなく、目の前にあるあらゆることを、自分の知識で
「考える」作業をすることが大切であることを改めて教えられました。


(今村 正典)