明治維新から3年後の1871年、横浜港に降り立った17歳の少年がいました。
ロンドンの貧しいユダヤ人一家で、11人兄弟の10番目として育ったマーカス・
サミュエルは、高校卒業の記念に父親からもらった三等船室の片道切符で、
縁もゆかりも無い極東の島国へ一人でたどり着いたのでした。
ポケットにはたった5ポンド。宿代がないので湘南三浦海岸の無人小屋に住み
ついて来日後の数日を過ごしました。
フト浜辺に目をやると、見たことのない美しい貝殻が落ちています。この貝殻
に自分で細工を加えてロンドンの父親に送りました。
父親はこの貝殻をロンドンの町で売り歩きました。当時のロンドンでは
その貝が珍しかったらしく、ボタンやたばこケースなどの装飾として飛ぶよう
に売れました。父親は店を開き、少しずつ店は大きなって、少年はひと財産を
築くことができました。
そのお金で23歳のとき、横浜で「マーカス・サミュエル商会」を設立し、
石油の採掘事業に進出しました。
事業がうまくゆくと造船の専門家を招いて、世界で初めて石油運送用のタンカー
をデザインし、世界初の「タンカー王」となりました。
彼は自分のタンカーの一隻ごとに、日本の海岸で拾った貝の名前をつけました。
1894年、日清戦争が勃発すると、軍需物資の供給で日本政府に貢献しました。
また、台湾のアヘン中毒患者対策としてアヘン公社を設立しました。これらの
功績により明治天皇から勲一等旭日大綬章を授与されました。
英国に戻ると親日家の名士として厚遇を受け、ロンドン市長になりました。
1921年、男爵の爵位を授けられ貴族となりました。
しかし英国国内では、ユダヤ人が石油業界で君臨していることに反発が強まり、
会社を手放すことになりました。
彼は手放すに際して、会社が存続する限り「貝のマーク」を商標とすること、
という条件をつけました。
そのマークが、今でもガソリンスタンドでおなじみの「昭和シェル石油」の
マークです。
(日野 孝次朗)