2011年12月21日水曜日

消化されないアブラソコムツ

のぞみの目線 8月31日号より

駿河湾に停泊している船上で、夜更けに皆で魚釣りをしていました。
船員さんの竿に大きいアタリがあって、けっこう時間をかけて大きな魚を
釣り上げました。

照明に反射して妖しく光る目が印象的な魚でしたが、名前を聞いてみると、
「アブラソコムツ」という魚だとのこと。

引きが強いので、釣りをする人には好まれるのですが、この魚のアブラは
人間が消化できる種類のアブラではないので刺身で数切れ食べるとお腹が
大変なことになってしまうことから、わざわざ食べる人はいないのだそうです。
ただ、覚悟して食べると大トロのようでそれなりにおいしいという話でしたが、
このときも食べてみようということにはなりませんでした。

そんな訳で、アブラソコムツは食品衛生法第6条2項で規定されている
有害な物質を含むものとして、食用が禁止されています。

アブラソコムツに関する規定は、昭和56年1月10日の厚生省衛生課長の
通達によってなされたもので、それ以降はこの魚を食用に扱うことは
刑事処罰の対象とされることになりました。

実際に鮮魚商がこの魚を販売したことについて、食品衛生法の「有害な物質に
該当するか否か」で最高裁まで争われました。

「アブラソコムツ事件」といいます。

国民の権利を法律で制限するには、刑罰法規の内容が具体的で明確で
なければなりません。

この裁判では食品衛生法の「有害な物質」という規定は不明確であるうえに、
一通の通達をもって、その流通が突然禁止され処罰の対象となるということは、
罪刑法定主義に反しており違法であるとの原告側の主張だったのですが、
結局前審の東京高裁の判決(東京高裁平成7.10.31)のまま、食品衛生法の
文言は抽象的で漠然としたものになっているとはしたものの、「通常の判断能力を
有する一般人の理解において具体的にアブラソコムツにつき、その適用があるか
どうかという判断を可能ならしめるような基準が読み取れるということができ」
「何ら明確性に欠けるところはない」とされ上告は棄却となりました。

多くの法律が、抽象的で漠然とした文言で法律化され、地方公共団体の条例や
通達によって運用されています。

自身の活動に関係する分野では、常に法規制の最新情報を確認しておかなければ
ならないのです。

(Masanori Imamura)

心からにじみ出た態度

のぞみの目線8月24日号より

先日、私はとある高校で高校生の就職採用面接の訓練に参加して
きました。つまりは、私が企業の人事担当者の真似事をして、
高校生に面接の経験を積ませるというボランティアです。
面接を終えていろいろ思うところはありましたが、ひとつ印象に
残ったことは、生徒達も先生方も「声を大きく出すこと」にとても
注意を払っていたことです。
企業の採用担当者の意見として、声が大きい生徒を採りたいと言う
話が多いのだそうで、少々大きすぎるくらいの方がよいということ
になっていました。

私が気になったのは、声の大きさにひたすら注意を促す先生の考え
方です。今時そのような単純な発想で採用決定を左右するとは思
いませんでしたし、面接に臨む高校生達が考えるべき点はもっと
根本的なことではなかったかと、私はあれこれ考え悩んでしまい
ました。

面接とはそんなものか。それとも、もっと別のあり方もあるものか。
私が企業の人事に関係しているわけではないので、どうでもよい
ことだとも思えますが、これはコンプライアンスやCSRと無関係
とは言い切れないような気がします。

私の知り合いに三味線の先生がいまして、この話を聞いていただき
ました。

重要無形文化財常磐津節の保持者として国の指定を受けておられる
方なのですが、その方からこの話について一文をいただきましたの
で紹介いたします。

以下一部抜粋
さて。 
面接という場においてのマナーと云うものは声の大きい小さいと
言った理屈ではなく、
心の奥からにじみ出た対応で臨むのが本当でしょう。
最近テレビ画面で、責任者の何人かが揃っての謝罪場面を度々見る。
その時の頭の下げ方を皆さん良く見ておられますか。
心から謝っている人、仕事として仕方なしに頭を下げている人。
良く観察してご覧になってみてください。参考になりますよ。
ですから面接の場において挨拶するに当たり、身体を○○度前に
倒してお辞儀をしなさい、ではなく、気持ちを込めて相手に接すれば、
挨拶に当たり自然に身体は前屈みになるもの。
教えられた角度に身体を倒すより、相手に好感を持って受け入れ
られるのは、心から出た姿であるはず。
これがマナーの根本であるのではないか。
<常磐津東蔵>
以上抜粋終わり。

面接のとらえ方はいろいろだと思いますが、心からにじみ出た態度が
本来の姿だという考えは、もっと強く意識していきたいと思いました。
(Kojiro Hino)

望星丸

のぞみの目線8月10日号より

 8月6日から8日にかけて東海大学の海洋調査船「望星丸」に乗船
して、伊豆諸島の御蔵島周辺に行ってきました。当初は八丈島に上陸
する予定だったのですが、台風10号の影響もあって、太平洋のうね
りが大きく八丈島の底土港に接岸できないので、結局三日間の洋上生
活となりました。

 今回の航海には、現役の学生の皆さんが実習生として乗船し、プラ
ンクトンネットでプランクトンの調査をしたり、観測機器を用いて駿
河湾の海水を観測したりといった活動が行われました。

 船の上では、そのときの気象や海象などによってスケジュールが変
更されたり、同時にいくつもの作業を行ったりしなければなりません。
実習学生は自分が所属している班内だけではなく、他のグループや教
員との間での「報告・連絡・相談」がとても重要なのですが、実習学
生は慣れていないのでなかなかうまくいかず、情報伝達が混乱したり
実習学生が右往左往したりしている姿をよく見かけました。

 陸上とは違い、行動の一つ一つに意味があって情報の共有や協働が
重要な船上での経験は、学生の皆さんにとってとても良い勉強になっ
たのではないかと思います。

Winny開発者の無罪確定

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111221-00000028-mycomj-sci

ファイル共有ソフト「Winny」を開発/公開したことが著作権法違反の幇助罪にあたるとされ起訴されていた裁判について、最高裁が無罪とする判決を出しました。

もともと幇助罪の成立が危ぶまれていましたので、ある意味では当然との見方もありますが、逮捕に踏み切られた背景というものがあったと思います。

Winnyの問題性が先にあって、著作権法違反幇助は後付の理由に過ぎないといった声もあります。
逮捕が見せしめの道具であってはならないわけですが、現実には著作権法や商標法など知的財産関連法を駆使して逮捕されるケースがしばしばあります。

法的リスクの問題として重要な教訓となりました。

人権に関する課題(その1)

ISO26000では人権に関する課題として、次の8つの課題が提示されています。今回は、「デューデリジェンス」と「人権に関する危機的状況」について説明します。

1 デューデリジェンス
 組織は、組織の決定や行動について、人権侵害の発生がないように注意を払う必要があります。組織や組織周辺の他者による人権侵害が起きることがないかについて、組織はデューデリジェンスの手法を用いて影響力や課題を調査して、その防止をしたり責任を見極めたりすることが求められます。

2 人権に関する危機的状況
   紛争や貧困、環境破壊など直接的に人権侵害に結びつくような状況がある場合には、組織は自らの決定や行動について、充分な調査を行うとともに、それがどのような影響を及ぼすかについて見当することが必要です。何らかの形で影響力を及ぼすことになってしまうような場合、常に人権の尊重に対する責任を意識していなければならないのです。

2011年12月15日木曜日

第六章 社会的責任の中核主題に関する手引(その4)

6.3 人権(その2

 組織が人権を尊重した活動を行うためには、組織とその組織に関連するサプライチェーン全体で行われる活動について、人権に対してどのような影響があるか常に評価していることが必要です。これらを評価するには、その影響を色々な側面から調査しその結果から評価するというデューデリジェンスの手法をとるのが有効であるとされています。

 評価の結果を基に、組織は人権を尊重するという目的達成のために、組織の決定や行動が直接的、間接的にどのような影響を及ぼすかについて検討し、組織の活動によって人権に関連する紛争が発生するような場合には、それを解決するための手段を講じておくことが必要となるのです。

2011年12月7日水曜日

第六章 社会的責任の中核主題に関する手引(その3)

6.3 人権(その1

 ISO26000の中で人権は「全ての人に与えられた基本的権利である」とされています。いかなる組織、そして国家であっても基本的には人権は守るものであるとされます。国家は人権を尊重し、国民を保護する義務と責任があり、そのために一定の制約の範囲内で一部の人権を制約することもできますが、それ以外の組織は人権を制約することはできません。

 組織における人権は、男女の差別や、障害者雇用といった直接組織が関係する分野と、取引先などのサプライチェーンの中で発生している人権侵害などのように、組織の意図とは無関係に人権侵害に間接的に加担しているといったものもあります。

 組織も人権と関わる側面が多いことから、組織にも人権を尊重する責任があるのだということができます。