2012年5月3日木曜日

詰め腹切らせていませんか? (のぞみ総研メルマガ 2011.9.14より)

「詰め腹を切る」という古い言葉があります。
「詰め」とはどうやら、最終段階の最後の処理を意味しているようです。
「詰めが甘い」「話を煮詰める」など。

不祥事が発生したら誰かが責任を取らなければない。
これが日本社会の常識のようですが、偉い人には責任を負わせられないという、
これまた別の常識も濃厚にあったようで、武士の世界では不祥事があると、
下っ端の責任者が「詰め腹を切らされる」ということが珍しくなかったようです。
このため「詰め腹」は「無理矢理強制された責任の取り方」という意味に
なってゆきました。
そう言えば、魏志倭人伝に出てくる「持衰」の話も気になります。

<持衰は人と接せず、虱は取らず、服は汚れ放題、肉は食べずに船の帰りを待つ。
船が無事に帰ってくれば褒美が与えられる。船に災難があれば殺される。>

持衰という仕事に職業選択の自由があったかどうかわかりませんが、
古代の話とは言え、現代に通じるところが無くもないような気もします。
現代においても、結果だけ責任を負わされてなんとなく辞職させられたり、
又は責任がありそうなのにうやむやになったり、といったことがよく起っていて、
それを制度上の問題として改善しようという人もおらず、なんとなく
時間が過ぎて忘れられてしまいながらも常に繰り返されている状態です。

責任問題について、結果の善し悪しを基準としがちな日本流に対して、
米国流では判断の善し悪しを基準としているようです。
イラク戦争を決断したブッシュ大統領の回想録を読んでみると、
生物化学兵器が存在しないことが戦後明らかになって戦争の大義名分が
失われたことについても、「そのときには最善の判断をしたのだ。
そうするしかなかったのた。」ということで、自身の責任を匂わすような
表現はありませんでしたが、それでいて任期終了まで在任し続けました。
判断が最善であれば結果が間違っていても責任はないということですが、
日本流では「開き直り」という言われ方をされるかもしれません。

「我が社はコンプライアンスを重視しています。」
多くの会社はそう言います。
しかし、売上げが下がったときには経営者からいろいろな命令があるでしょう。
その命令の内容をそのまま実践したらコンプライアンス上又はリスク管理上
問題があるということは、よくあります。
それでも経営者は「すぐやれ、売上げを上げるんだ。」とせき立てたりします。

そういうときにはきっと、経営理念やら、自己肯定論やら、様々な美学や
理論でムードが盛り上がってしまっていて、とても法的リスクの話を
社員から切り出せる雰囲気ではなかったりします。
それ以前に、社内風土としてリスクの話を経営者に伝える仕組みが
存在しない場合もあります。

以上のような経緯でありながら、いざ法令違反が表面化して会社の問題
として浮上したときには、現場の責任者に向かって「何をやっているんだ?」
と責任を負わせる経営者もいます。
まさに「詰め腹」。
日本流だからこれもアリ、ということでしょうか。
私にとっては非常に残念な現象ではあります。

(日野孝次朗)