2013年10月16日水曜日

週刊誌で見る時代の常識

街中で時間が空いたとき、私が目指すのはたいてい古本屋です。
105円で売っている安い本と、もうひとつは昔の雑誌が目当てです。

昔といっても戦時中以前のものを探します。
昭和20年を境に日本人の価値観がどのように変わったかを感じるには、週刊誌がちょうどよいのです。

たとえば昭和13年頃から終戦にかけて内閣情報局が写真週報という週刊誌を発行しています。
創刊号の最初の項目は「見よ試練の日本・銃後の力」とあり、国民の戦意高揚を目的としていますが、アサヒグラフが数万部の発行部数だった時代に20万部が「販売」されていたそうです。

現代人から全面否定されている社会思想を写真とともに週刊誌で読んでみると、なんとも不思議な感覚に襲われます。
当時の人はこれを当然と思って読んでいたわけでしょうが、自分も読んでいるうちにだんだんと「そんな気分」になってゆくのです。

人は自分がたまたま見たものを「常識」として受け止めてしまうのでしょうか。
だとすれば現代人の常識も頼りないものです。

それでもやはり、文章表現にひっかかるものが多数あります。
私には理解しがたい「論理の飛躍」や「定義の省略」があるのですが、それはこの時代における執筆上の制約、又は遠慮というものなのでしょうか。

終戦期に近づくにしたがって微妙に、しかし明らかに切迫感がにじみでてきます。
ご興味のある方は以下をご覧ください。
いずれNHKの朝ドラの時代とかぶってくるはずです。

http://www.jacar.go.jp/shuhou/shiryo.html

これを作っていた人たちがどんな気分でつくり、どんなことでご苦労されていたのか。
そんなことを想像するのも、歴史好きの趣味のひとつなのです。

ひの