2013年10月30日水曜日

氏素姓が知れない

氏素姓という言葉があります。
現代でも「あいつは氏素姓が知れない。」と言えば、生い立ちや背景が不透明な人、つまり「あやしい人」という意味にもなります。

本来、「素姓(すじょう)」は「素の姓」という意味で、「姓」は古代においては「カバネ」と読み、家柄ごとに与えられた役割を意味していました。

たとえば「臣(おみ)」という姓は王家と並ぶ有力豪族の家に、「連(むらじ)」は王家に隷属する有力部族に与えられ、そのほかに「伴造(とものみやつこ)」や「国造(くにのみやつこ)」もあります。

一方で、有力部族の家の名前として「氏」があります。
「蘇我氏」「物部氏」などもそうで、「蘇我臣」「物部連」などと表記していたりします。

平安時代には源氏、平氏、藤原氏、橘氏の四氏が源平藤橘(げんぺいとうきつ)と言われて有力で、坂上、菅原、大江、清原、小野なども有名です。

中世においては、これら「姓」や「氏」によって家柄が明らかになるわけで、もし「姓」も「氏」もわからない人がいれば、その人は貴族には無関係の一般人、つまり「氏素姓のわからないやつ」と思われたりしたわけです。

しかし、貴族も子孫が増えて同じ氏素姓の人がたくさんいては識別に困ります。
そこで、その人の家の特徴で区別するようになります。

たとえば、源氏の子孫が新田を開発して「新田(にった)」、「平氏の子孫が北条という土地に住んだから北条」、藤原氏の子孫が佐渡の守になったから「佐藤」、といった具合で、本来の姓とは別の名を使うようになってゆきますが、これを「苗字」と言い、もとの姓(素姓)については「本姓」と言いました。

戦国武将も、織田信長の本姓は桓武平氏だとか、徳川家康の本姓は清和源氏だ、といったことに気を使っていました。
なので、朝廷の儀式において家康は「徳川」を名乗らず「源家康」を名乗りました。

豊臣秀吉の場合は、まさに「氏素姓が知れない」人だったので、藤原氏である近衛前久の養子となった後で独自の氏を創設しました。
秀吉は「羽柴」を捨てて「豊臣」に氏を変えたのではなく、羽柴という苗字を持ちながら、同時に豊臣という氏を持ったわけです。

このとおり、日本人は古代から現代に至るまで、氏素姓について誠にやかましかったようであります。

ひの

正直のコスト

有名ホテルのレストランで食材の偽装があったとかで話題になっています。

高級でうまい料理を安い価格で提供しろ!と上から言われても、現場にとっては無理な話で、そのしわよせで「工夫」と言う名の「偽装」に発展してしまう現象は飲食業界全体で起こりうることなのでしょう。

日常、私達は言葉のイメージで食欲の刺激を受けているようです。
たとえば、

「フランス産トリュフと白舞茸の蒸しコンソメスープロワイヤル仕立て」

「鱸のポアレ 高知県の完熟トマト蜂蜜風味のシャンパンクリームソース 海草と長野県産濃緑ほうれん草のソテー添え」

ただの「スープと焼き魚」じゃだめなのですね。
フランス関係の言葉と「完熟」とか「濃緑」などあいまいな言葉を加えると高級感が出るようです。

食肉の販売では、よく「但馬牛」とか「飛騨牛」など、古い国名を充てると高級感が出てきます。
「原産地厚木」「練馬牛」などと表記するよりも「相模牛」とか「武蔵牛」と言われた方が、なんとなく高級です。

お昼のランチでも、ただの「焼き魚定食」よりは、「しまほっけのゆう庵焼き定食」とか「つぼ鯛の塩麹みりん漬け炭火焼き定食」の方が高級感ありです。

が、なんとなくうさんくさい気もします。
もしこれらが少しでもウソっぱちだったとしたら、心情的には到底許す気になれません。

広告において華麗な言葉をたくさん並べれば並べるほど、事業者はその言葉に縛られ、負担は増えます。
これを「正直のコスト」とでも言いましょうか。

ひの

コンテンツの世界

 先週、お客様と一緒にお台場のホテルで開催されていた
「Japan Content Showcase2013」
に行ってきました。

アニメやドラマ、映画など日本のコンテンツ産業の関係者が数多く出展していて、とても興味深いものでしたが、基本的には海外を意識したもので、日本で行われている展示会なのに、多くのパネル類が英語だったりオフィシャルのガイドブックが英語で書かれていたりしていました。なので、来場者のほとんどが外国人。

 かくいう私たちも、東南アジアの会社さんと、お客様のいろいろなコンテンツを海外で展開するための商談を行いました。

 今回は、事前に英語の資料を作成していきましたが、やはり先方にはこの資料が良かったようで、この資料を元にいろいろなお話をすることができました。

 日本の企業であっても、やはり海外を視野に入れるのであればせめて英文の資料は必要なのだということを改めて実感しました。

いまむら

2013年10月23日水曜日

土下座

店員に土下座をさせた客が強要罪で逮捕されたというニュースが話題になっていました。

不良品の代金を返金させただけでは満足できず、さらに様々な方法の謝罪を要求する人がいるのですね。

このニュースに対する反応として、土下座を要求しただけで逮捕されるのか?
という疑問があるかもしれません。

刑法第223条
生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、又は暴行
を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、3年以下の
懲役に処する。

これは刑法の強要罪の条文ですが、単に謝罪を要求しただけで強要罪に問われるのではなく、「脅迫又は暴行」、そして「人に義務の無いことを行わせ・・・」が成立した場合に強要罪となります。

口頭で謝罪しただけでは気が済まず、土下座までさせる必要まであったのか。
土下座までさせる程のことではない場合に、脅迫して土下座を強要した時点で強要罪となるわけです。

たとえば、「土下座しないなら○○してやるぞ!」と言ったような場合です。

土下座という謝罪方法は日本の古い慣習によるものかもしれませんが、通常一般的に行われないからこそ土下座の価値があるのでしょう。
そうであれば、商品の返品くらいのことで土下座を要求するのは度を越していると考えられます。

土下座というのは謝罪する本人が自発的に行うことであって要求することではないと私は思います。
そもそも土下座という手法自体がどれほどの効果があるものか。

ある調査によれば、土下座によって謝罪を受けた人の印象としては、「うさんくさい」「誠意を感じなかった。」など否定的な印象を持った人の方が多かったそうです。

ひの

2013年10月16日水曜日

週刊誌で見る時代の常識

街中で時間が空いたとき、私が目指すのはたいてい古本屋です。
105円で売っている安い本と、もうひとつは昔の雑誌が目当てです。

昔といっても戦時中以前のものを探します。
昭和20年を境に日本人の価値観がどのように変わったかを感じるには、週刊誌がちょうどよいのです。

たとえば昭和13年頃から終戦にかけて内閣情報局が写真週報という週刊誌を発行しています。
創刊号の最初の項目は「見よ試練の日本・銃後の力」とあり、国民の戦意高揚を目的としていますが、アサヒグラフが数万部の発行部数だった時代に20万部が「販売」されていたそうです。

現代人から全面否定されている社会思想を写真とともに週刊誌で読んでみると、なんとも不思議な感覚に襲われます。
当時の人はこれを当然と思って読んでいたわけでしょうが、自分も読んでいるうちにだんだんと「そんな気分」になってゆくのです。

人は自分がたまたま見たものを「常識」として受け止めてしまうのでしょうか。
だとすれば現代人の常識も頼りないものです。

それでもやはり、文章表現にひっかかるものが多数あります。
私には理解しがたい「論理の飛躍」や「定義の省略」があるのですが、それはこの時代における執筆上の制約、又は遠慮というものなのでしょうか。

終戦期に近づくにしたがって微妙に、しかし明らかに切迫感がにじみでてきます。
ご興味のある方は以下をご覧ください。
いずれNHKの朝ドラの時代とかぶってくるはずです。

http://www.jacar.go.jp/shuhou/shiryo.html

これを作っていた人たちがどんな気分でつくり、どんなことでご苦労されていたのか。
そんなことを想像するのも、歴史好きの趣味のひとつなのです。

ひの

台風26号

 10年に一度という台風が来るということで、昨晩から首都圏では大きな騒ぎにな
りました。今朝も、小田急線が運休していて都心に出られないでいます。ちょっとし
た自然災害でも大きな影響を受けるのが、都市の弱いところです。

 ただ、最近台風の勢力が大きくなっているような気がしています。今回の台風26
号も大きな勢力を保って首都圏に近づいてきましたが、先週猛烈な強さで奄美諸島や
沖縄を襲った台風24号は、鹿児島県の与論町で風速53.5メートルを記録しました。

 屋根が飛んだ家屋は数百棟、木造家屋が倒壊したり、鉄筋コンクリートの建物でも
一部損壊したりするなど大きな被害がありました。このあたりは以前から台風銀座と
呼ばれる地域で、台風には慣れているのですが、昨年、今年と甚大な被害が出るよう
な台風に襲われることが多くなって、地元の人ですら、「台風はとても怖い」という言
葉が出るようになってしまいました。

 数年前に海洋研究開発機構のスーパーコンピューター「地球シミュレーター」で計
算したところ、地球温暖化が進むと台風が大型化するという結果が出ています。今後、
首都圏にもこれまでに経験したことのないような台風が来ることになるのかもしれま
せん。

2013年10月9日水曜日

高台移転と森の学校

 10月5日から6日にかけて、宮城県の東松島市にある野蒜地区を訪問しました。
東日本大震災で大きな被害を受けた地域です。震災半年後に、野蒜地区を訪れたとき
にはあまりの状況に言葉が出ませんでした。今回はその時以来の訪問です。

 野蒜地区は地区全体で高台移転を決め、現在は移転のための大規模な造成工事が進
んでいます。開発面積は約90ヘクタール、だいたい東京ディズニーランドとディズ
ニーシーを合わせたくらいの広さに、562戸の住宅と学校や行政機関などが建設さ
れます。

小学校ができる予定地の裏山に登ると赤土がむき出しのなった造成地の向こう側に
海が見えます。

 野蒜地区を中心に活動している児童擁護施設支援の会の高橋雄吾代表からお話を伺
うと、この小学校が完成するのはまだまだ先の話。今年の二年生が卒業するまでに新
しい学校に通うのは難しく、仮設住宅のある場所でそれぞれバラバラに小学校生活を
送らなければならないのだそうです。

 このままでは子ども達から地域への愛着が失われてしまうという危機感もあり、子
ども達により地域を身近に感じてもらう取り組みも行われています。それがC.W.ニコ
ルさんのアファンの森財団と東松島市がすすめている「森の学校」プロジェクトです。

 小学校予定地の裏山を整備して、子ども達が自然に親しむことのできる場、地域の
方々が地区の復興状況を確認できる場をつくっています。既にツリーハウスも完成し、
今後、学校からツリーハウスへの山道なども整備していくことになっているそうです。

 私も草刈機などを使って学校の裏山を切り開く手伝いもしてみましたが、現金なも
ので、たいしたことはしていないのに、なんだかこの地域に愛着がわいてきました。

 この地域のこれからの復興にも関心を持ち続けていこうと思います。

2013年10月2日水曜日

ひのえうま

昨日、経営者の仲間の皆さんとお話をしていたところ、私の同級生になる1966
年生まれの社長がずいぶん多いことが話題になりました。もちろん、友人としてお付
き合いしている方々なので、似たような年代があつまるということはありますが、あ
の人もこの人もと、経営者ばかりで他の世代にくらべて割合が多くないか? という
ことになりました。

 日本の人口ピラミッドをよく見ると、ちょうど47歳あたりのところだけが凹んで
いることに気付くと思います。これが、1966年ひのえうまの年です。
 浄瑠璃の「八百やお七」で江戸に放火した「お七」が丙午生まれとされたことや、
その後の夏目漱石の小説など、いろいろな迷信があって、この年は子どもを産むこと
を控えた人が多く、結果的にこの年だけは前年に比べて極端に出生率が低くなりまし
た。

 飲みながらの話ですから、あまり根拠があるわけでもないのですが、同級生の経営
者が多いわけを考えてみたところ、迷信とはいえ社会でみんなが子どもを産むのを控
える中で、あえてこの年に子どもを産むのは、決して保守的な家ではなく「リベラル」
な家だったのではないかということになりました。

 そのような家で教育されて育ったせいで既存の枠組からははみでてしまうような性
格になってしまったのかもしれません。話をしてみると、互いに思い当たるフシもあ
り、最後には「まあ、そんなことだからみんな経営者になってるんだよね。」と、単な
る酔っ払いの与太話になってしまったのでした。

 ただ、少子化が進むなかで、1990年に合計特殊出生率が1.57となり丙午の
1966年の1.58を下回り、政府がようやく少子化の深刻さに気付くきっかけと
なりました。その後も出生率は多少の増減はありつつも、下がり続けています。

 次の丙午は2026年。迷信は払拭されているでしょうけれど、この時代には少子
化に歯止めがかかっているのでしょうか?

いまむら