2013年6月26日水曜日

日本の歴史と麻薬との関係

TV東京の「なんでも鑑定団」を見ていると、中島先生が壷を持ちながら
「いいですねー。これは景徳鎮、清の乾隆帝の時代です。」といった説明をしてくれます。

中国、特に清の時代には優れた陶磁器がヨーロッパへ大量に輸出されました。
絹や茶などもヨーロッパ人にとって魅力的な商品でした。

一方で中国側にとっては<ヨーロッパから欲しいものはほとんど無い>という状況だったので、英中貿易は圧倒的に中国側が輸出超過となり、英国の財政を圧迫しました。

そこで英国人が思いついたことは、当時殖民地にしていたインドで「アヘン」つまり麻薬を生産し、それを中国に売りつけて貿易収支を均衡させようということでした。

清国は当然ながらアヘンの輸入を禁止しましたが、アヘンの密貿易によって中国から大量の銀が流出し、アヘン患者も激増して重大な社会問題となりました。

アヘン商人からの賄賂をものともせず厳しい取締りをした林則徐は有名です。
彼は英国商人からアヘンを没収し、英国商館を閉鎖に追い込みましたが、これに逆ギレした英国議会は中国との戦争に踏み切りました。

英国内でも「不義の戦争ではないか」との批判がありましたが、出兵の予算案は賛成271票、反対262票の僅差で成立し開戦となりました。

その結果、英軍は勝利を重ねて北京に迫り、清国は不利な条件で講話することとなりました。
これが西暦1840年に終結したアヘン戦争のなりゆきであり、中国の植民地化と辛く苦しい時代の始まりともなります。

こんな屈辱を味わえば「麻薬の密輸は死刑」という中国の法律も当然と思います。
まさに国を滅ぼす罪なわけですから。

アヘン戦争は日本の幕末の歴史にも重大な影響を及ぼしました。
「日本が清国の二の舞になる」という恐怖心が明治維新の原点なのです。

今では麻薬といえば「覚せい剤」や「大麻」の方が有名ですが、一昔前は「あへん」でした。
「あへん」は欧米のアジア侵略を象徴していたのです。

私が税関の仕事をしていたとき、関税法の中で「税関職員があへん煙を輸入する罪」というのがあって、麻薬の中でも「あへん」の輸入にだけこだわっていたのが不思議でしたが、これも歴史のなりゆきによるのでしょう。

今日6月26日は国際麻薬乱用撲滅デーだそうで、麻薬と日本の歴史について触れてみました。


(日野 孝次朗)