私が社会人となって最初の仕事は公務員でした。
公務員とはなんだろう。
そんなことをいろいろ考えていた中で、その当時よく思い浮かべたのは、ある小説に
書かれていた言葉でした。
その言葉は「海の都の物語」(塩野七生著)という作品にありました。
海の都であるヴェネツィアは、少なくとも7世紀から18世紀いっぱいに
かけて地中海貿易で繁栄した共和制の通商都市国家でした。
蛮族の侵入を避けるために海上の都市を建設したヴェネツィア人にとって
悩みの一つが、都市に張り巡らされた運河の管理でした。
運河は水上交通の基盤として通商国家の繁栄を支えてくれますが、
水流がよどみ、水が腐敗してしまうと、害虫や病原菌の発生源となって
都市を死滅させるおそれがあります。
このため、ヴェネツィア政府には運河を管理する行政官として、
「マストラート・アレ・アックワ(水の行政官)」
と呼ばれる役職がありました。
その職にある者は国家元首並みの待遇を受けたのだそうですが、
その就任の際に市民の前で投げかけられたのが次の言葉です。
「この者の功績を誉め讃えよ。それにふさわしい報酬を与えよ。しかし、
この責任重い地位にふさわしくないとなったら、絞首刑に処せ。」
誰でも失敗はあります。しかし、その地位にふさわしい報酬を得た者には、
その地位にふさわしい責任を取らせなければなりません。その逆もしかり。
ヴェネツィア人にとって水の管理は、その責任者の命を奪わねばならない
ほどに重大な課題だったのです。
人口わずか15万人。資源を持たない都市国家が、フランク、トルコ、
スペインなどの強国としのぎを削って激動の1000年を耐え抜きました。
歴史上もっとも長く存続した共和国なのです。
私たちにはヴェネツィア人ほどの賢明さがあるのでしょうか。
(Kojiro Hino)