2013年3月27日水曜日

オートバイの国

 ベトナムに行って驚いたのは、「オートバイ」の数です。もちろん、知ってはいましたが、実際に見てみるとその数の多さに驚くばかり。しかも、二人乗りは当たり前で、大人二人と子どもが二人、更に赤ちゃんまで5人が一台のバイクに乗っているなど、まるで曲芸のような人もめずらしくありません。

 道路を横断するにも、信号が少ないせいもあってこういうバイクや車を縫うように歩かなければなりません。道路を横断するたびにヒヤヒヤしますが、現地にいる日本人社長に言わせると「一週間もすれば慣れますよ。」とのこと。

 ベトナムでは車は高価で買えないので、一家に一台のオートバイがあって、家族で出かけるにもそのオートバイを使うというのが溢れるほどのオートバイの原因ですが、これから、一人当たりGDPが3000ドルを超えるようになってくると今度はこの人たちが自動車に乗るようになってきますし、現在はビルの屋根の上に掘っ立て小屋を建てて住んでいるような人たちも、きちんとした家に住むようにもなります。

 まだまだ、目指すべき明確な未来があることが、この国の元気の源なのかもしれません。


(今村 正典)

2013年3月21日木曜日

ホーチミンの喧騒

先週、ベトナムのホーチミンを訪問しました。街中にバイクがあふれて、常にクラクションの音が聞こえる街でした。そのせいか、とても元気があるように思えたのですが、実際この国では、7割近くの人々が「明日は絶対に金持ちになれる」と信じて働いているのだそうです。丁度日本の昭和30年代のような感じなのでしょうか? 

 今回の訪問では、多くの日本人経営者の方とお会いしました。だれもが共通して口にされたのは、やはり「強み」を生かすこと。私どもが、お客様に海外進出の支援をさせていただく際のキーワードもやはり「強み」です。ただ、日本にすでに基盤を持って海外に進出しようとする場合と、起業家が単身ベトナムに乗り込んで事業を始める場合の「強み」は少し違うものだということも感じました。

 何人もの社長は、日本に住んでいた時の職業とベトナムで現在やっている事業は全く関係がありませんでした。IT企業勤務だった方が飲食店をはじめたり、日本でエンジニアだった方が、ベトナムで広告代理店を立ち上げたりしています。

 彼らの「強み」はもちろん若さもありますが、やはり異文化を恐れずに飛び込んでいく勇気にあるのかもしれません。ある社長が自身の起業を振り返ったこんなひと言が印象に残りました。
「目隠しをして全力疾走したとき、自分では100メートル走ったつもりでも、日本だったら50メートルしか走れていなかった、でもベトナムでは300メートル走れていたように感じました。」


(今村 正典)

宮城県石巻市訪問

3月14日、15日と私が所属している研修事業の法人主催で宮城県石巻市牡鹿町に行
ってきました。

地元の漁師さんとの交流とワカメ漁のお手伝い(になっているか疑問ですが・・)
と牡鹿中学校の生徒さんへの職業講話を行ってきました。

ある漁師さんがおっしゃっていました。「この震災を風化させないでほしい」と・・。

翌日、朝5時に集まりワカメ漁のため海に集合。海での漁の大変さ、そして採って
きたワカメの加工は重労働で、大して役に立っていないなと痛感しました。

午後は牡鹿中学校で職業講話を行いました。1回20分で5人生徒さんとお話しました。
私は行政書士のお話をしました。逆に生徒さんに将来の夢を尋ねました。
ある生徒さんは「自衛隊に入りたい」と答えてくれました。理由は自分達が助けて
もらったから自分も誰かを助けたいと。

私は中学生の時、こんなしっかりした考えなんてありませんでした。人に感謝する
なんて考えてもいなかったと思います。

職業講話なんてとんでもない。生徒さんから学びんだことの方がたくさんありました。

漁師さん、生徒さんに勇気をいただいた2日間でした。ありがとうございました。



 (小峰 望)

2013年3月13日水曜日

ベトナムへ

 明日から、ベトナムに出張することになりました。ベトナムは初めてですが、短期
間の訪問なので、観光らしい観光もなくほとんど会議ばかりということになりそうで
すが、せっかく訪問するのですから、少しでも充実したものにしたいと思っています。

 中国依存を避けるためのいわゆる「チャイナプラスワン」の一つとして注目されて
いる国の一つがベトナムです。平均年齢が若く、右肩上がりの経済成長、更にインフ
ラも比較的整いつつあり、確かに進出するには魅力的に写ります。

 しかし、現地に実際に進出している日本企業のベトナムに対する評価を見ると人件
費の高騰や、行政手続きの煩雑さ、不透明な行政運営など社会主義国ならではの課題
も浮かび上がってきています。人材も、ベトナム戦争の影響もあり中間管理職を担う
年齢層が少ないというのも大きな問題です。海外の専門家の中には、ミャンマーやイ
ンドネシアなどと共に進出するのが難しい国の一つとしてベトナムを挙げる方もいま
す。

 さて、実際に訪問してみたベトナムにはどんな印象を持つのでしょうか? 私自身
も楽しみです。

 次回には訪問した印象などご報告したいと思います。

 (今村 正典)

2013年3月6日水曜日

多摩がアツかった時代

明治維新後の行政区画は激しく混乱していました。
当時は横浜が外国貿易港として社会的に重要な役割を担っていて、横浜を中心とする
神奈川県の行政区画は現在の多摩地域にまで及んでいました。

八王子、立川、府中、調布、三鷹、世田谷、杉並なども一時的に神奈川県に含まれて
いた時期がありました。
養蚕業が盛んな多摩地域は東京よりも横浜との関係が深かったようですし、横浜に
居留する外国人が観光目的で足を伸ばしそうな地域は神奈川県の管轄にするのが好ま
しいとも考えられていたようです。

しかし、1893年3月6日、つまり120年前の今日ですが、神奈川県内のうちの多摩地域が
東京府に移管されました。
「玉川上水と多摩川水系を東京府の管轄下に置きたい」というのが表向きの理由でし
たが、町田市がある南多摩地域は鶴見川水系です。
実はもうひとつ裏の事情があったのではないかと言われています。

この当時は自由民権運動が盛んで、選挙の際に警察が民権活動家の選挙活動を露骨に
妨害するといった事件が多発し、政府と活動家の対立が激しかった時代です。

特に神奈川県では自由党が優勢で、当時の神奈川県知事は選挙干渉の責任を議会で
問われる懸念がありました。
そこで自由党の勢力基盤であった多摩地域を東京府(こちらは自由党が弱かった)へ
移管して急場をしのごうとしたのだという話です。

幕末には新撰組が生まれ、明治には自由民権運動家がたくさん生まれました。
多摩は時代と戦う「アツイ」人たちがたくさんいた地域だったのですね。
そして120年前の今日、冷や水を浴びてしまったということでしょうか。


(日野 孝次朗)

57年間無事故無違反の人

1956年に自動車の運転免許を取得して以来57年間にわたって無事故無違反だったと
いう人が警察署から感謝状をもらったというニュースがありました。

91歳という高齢なので、有効期限満了に伴い免許証を返納されたのだそうです。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130305-OYT1T00398.htm?from=ylist

ペーパードライバーならともかく、左ハンドルのベンツを20台にわたって乗りこな
して来たという人なので、ぜんぜんペーパーでは無さそうです。

無事故無違反のコツは
「制限速度が時速60キロの道なら50キロにとどめる」
のだとか。

(うーん、そこまでしなければならないか・・・)
と私は感じてしまったのですが、そういう気構えがなければ57年間の無事故無違反は
難しいのかもしれません。

「完璧な法令遵守は無理」
私のコンプライアンスセミナーではそういうテーマの話をよくするのですが、
こういう人も実際にいらっしゃるのですね。。。


(日野 孝次朗)

2013年3月4日月曜日

行政書士 荒井 義己


荒井 義己(あらい よしみ)

◎専門分野  風営法 許認可申請手続 ホールの法務全般の支援
◎業務活動  行政経験を生かしてホール業界の法令遵守を様々に支援 執筆、講演等
◎モットー   熱く語る
◎趣味      テンカラ釣り アウトドア


〒252-0303
相模原市南区相模大野8丁目2番6号 第一島ビル403
行政書士のぞみ合同事務所
のぞみ合同事務所HP http://thefirm.jp/
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