明治維新後の行政区画は激しく混乱していました。
当時は横浜が外国貿易港として社会的に重要な役割を担っていて、横浜を中心とする
神奈川県の行政区画は現在の多摩地域にまで及んでいました。
八王子、立川、府中、調布、三鷹、世田谷、杉並なども一時的に神奈川県に含まれて
いた時期がありました。
養蚕業が盛んな多摩地域は東京よりも横浜との関係が深かったようですし、横浜に
居留する外国人が観光目的で足を伸ばしそうな地域は神奈川県の管轄にするのが好ま
しいとも考えられていたようです。
しかし、1893年3月6日、つまり120年前の今日ですが、神奈川県内のうちの多摩地域が
東京府に移管されました。
「玉川上水と多摩川水系を東京府の管轄下に置きたい」というのが表向きの理由でし
たが、町田市がある南多摩地域は鶴見川水系です。
実はもうひとつ裏の事情があったのではないかと言われています。
この当時は自由民権運動が盛んで、選挙の際に警察が民権活動家の選挙活動を露骨に
妨害するといった事件が多発し、政府と活動家の対立が激しかった時代です。
特に神奈川県では自由党が優勢で、当時の神奈川県知事は選挙干渉の責任を議会で
問われる懸念がありました。
そこで自由党の勢力基盤であった多摩地域を東京府(こちらは自由党が弱かった)へ
移管して急場をしのごうとしたのだという話です。
幕末には新撰組が生まれ、明治には自由民権運動家がたくさん生まれました。
多摩は時代と戦う「アツイ」人たちがたくさんいた地域だったのですね。
そして120年前の今日、冷や水を浴びてしまったということでしょうか。
(日野 孝次朗)