2013年5月8日水曜日

カマクラノミクスは・・・

富士山が世界遺産に登録される見通しにより、周辺地域の経済効果を期待してフジノ
ミクスとか言われていますが、同時に申請された鎌倉の登録は見送られたようです。
武士政権の首都だった場所にしては、武士に関係する史跡が少ないと指摘されたのだ
とか。

世界遺産はともかく、鎌倉という場所が日本の歴史に与えた影響は絶大です。
鎌倉が歴史的に重要であるのは、源頼朝が日本発の武士政権の根拠地に定めたことに
よります。

それはすぐ隣の伊豆で頼朝が挙兵し、その周辺にたまたま武士団がいたからこそあり
えたことです。
ではなぜ、頼朝は伊豆で挙兵できたのでしょうか。
それは平清盛が頼朝を伊豆に島流しにしたからです。

しかし、どうしてよりによって伊豆が選ばれたのか。
もし四国とか九州とか、佐渡ヶ島あたりだったとしたら、鎌倉時代は日本史に存在し
ていないでしょう。
島流しに適した田舎は日本中にあったのに、わざわざ源氏ゆかりの鎌倉のすぐ近くで
島流しにしなくてもよいのです。

理由の一つには、当時のこの地域に平氏の一族がたくさん住んでいたということです。
北条、土肥、大庭、三浦、千葉、鎌倉などは南関東の地名として今でも残っている氏
族名ですが、いずれも平氏、つまり平清盛とは遠い親戚みたいなものです。

同じ平氏だから源氏を監視してくれると期待して、頼朝を伊豆へ送ったのかもしれま
せん。
しかし彼ら関東の平氏一族は、京都にいる平家でなく、犯罪人である源氏の青年を選
んだのです。
それは600年以上に及ぶ大和朝廷の支配から東国が独立しようとする瞬間であり、武士
の時代の幕開けでもありました。

そういう意味で、鎌倉に武家の史跡が少ないという指摘はわからなくもありません。
食べ物や観光でばかり取り上げられる鎌倉ですが、その存在の歴史的価値にもっと注
目していたら世界遺産登録もありえたのでしょうか。
そうなったら「カマクラノミクス」とか言う経済効果があったかどうか。


(日野 孝次朗)