2007年8月20日月曜日

著作権保護期間延長に関連して思うこと

現在、日本における著作権の寿命は、著作者が死亡してから50年が経過したときまでということになっています。(正確には死亡の翌年の1月1日から) ただし、法人が著作者である場合と、無名・
変名で公表された著作物については公表されたときから50年、映画の著作物については公表されたときから70年経過するまで著作権が存続します。
最近は保護期間延長の是非が議論されていて、私の現在の考えでは延長には反対なのですが、なぜかといえば現行の50年間でさえ大きな問題があると思うからです。

著作物の利用許諾を得る際に、すでに作者が死亡していた場合には、その作者の著作権を相続によって承継した人から許諾を得ることになります。
商業価値が高い著作物については、相続の際に著作物が相続財産として扱われ、適切に承継されているものと予想しますが、この世に存在する著作物のうちで商業的価値があるものは極めて少なく、相続人が著作権を財産としてきちんと処分している割合は極めて少ないはずです。一生の間に著作物を一つも創っていない人は珍しいのに、相続の際に著作権が遺産分割の対象として認識されているケースも珍しいのです。

利用許諾を得ようとする人にとっては、誰が現在の著作権者であるかを知るための公的な登録制度がない以上、関係者を発見して事情を聞き、誰が著作権者であるかを突き止めるしか方法がありません。そこで、著作者の子孫に事情を聞いたとして、明確な回答が出てくる可能性がどの程度かと言えば、有名な作家であればともかく、あまり名の知られていない著作者の場合では、その子孫自身がよくわからない、という場合が圧倒的に多いでしょう。50年前に死亡した祖先の作品の著作権の存在を把握し、その著作権がその後特定の誰かに継承されたのか、それとも相続持分に応じて共有持分のまま承継されたのか、そういったことは、もう50年も経ってしまえば記憶や手がかりが残っていないでしょう。こういうことは例外的なケースではなく、むしろ一般的なことなのだという点が重要です。子孫でさえわからないことを第三者がどうやって確認することができるでしょうか。

著作権の存在を意識されないまま著作権が承継されているのだと仮定すると、著作者の子孫全員から許諾を得ることになります。相続人全員の連絡先を突き止め、血縁関係を確認するために戸籍関係書類を取り寄せるためには当該関係者の承諾が必要です。ほかに相続人がいないことを確定するためには、生殖能力がありうる年代までさかのぼって全ての戸籍を調査しなければなりません。つい先日死亡した人の相続人を特定するたけでも、実務上は大変面倒な作業になりますが、50年も前に死亡した人の場合、関係する戸籍の全てが残っているかどうかさえ不安です。なにしろ、戸籍法施行規則によれば通常の戸籍の場合、除籍になった(対象となる人が死亡または転籍したときなど)ときから80年までが戸籍の保存期間ですから、50年前に60歳で亡くなった方の30歳当時の戸籍は廃棄されている可能性があります。

このように、著作権の相続がきちんと処理されていない場合には、許諾を得ることは大変なコストがかかるか、現実には不可能な場合が多いのです。しかも、仮に適正に権利が承継されていても、その承継が本当に事実なのかどうか、ウソではないのかどうかを、第三者は最終的に確信を持つことができません。
著作物には不動産のように登記を義務付ける制度が無く、権利の譲渡の登録は任意であって、しかも相続に際しての譲渡の登録制度には第三者対抗要件が無いため現実にはほとんど利用されていません。
それでも許諾なく利用すれば著作権法違反であり処罰対象となります。

もう100年も前の作品だから大丈夫、とはゆかないのです。でも、もし100年前に創作された作品を利用したいのだとして、その著作権者を探し出すことができるでしょうか。もし著作権が消滅しているだろうと予想したとしても、著作者がいつ死んだのかをどうやって調べたらよいでしょうか。世界の長者番付を見て、その年齢以上は生きていないはずだ、と考えられる場合しか確証は得られません。
個人情報が保護されている今日で、第三者が他人の、しかも半世紀前の時代の死亡の事実について確証を得ることができるでしょうか。
ほとんどのケースでは無理です。無理ならば使えないということです。おそらくもう権利は消滅していると思うけれど、100%とは言い切れないので使用できない。そしていつから使用できるのかもはっきりしないのです。
これが文化の発展を目指した制度として、いかに不備であるかはおわかりでしょう。
著作権制度は、著作物の利用を禁止することが目的ではなく、適正に利用されることを目的としていますが、現実には将来、商業的価値の薄いほとんどの著作物が利用できなくなってしまうのです。
著作権の寿命が50年の場合でさえそのような状況なのに、さらに70年に延長するという意見が出ています。これは商業価値の高い作品だけを念頭に置いていて、一般市民が多様な著作物を安心して利用したり、許諾を得たりすることを無視しての発想です。

私が著作権について解説していて思うことは、どんなささいなコピーであっても著作権法に抵触すれば犯罪なのです、ということを言わなければならないことについて非常に抵抗があって、正直なところ、ささいなコピーくらいいいではないか、常識の範囲というものが法律とは別にあるはずではないか、ということを言いたくもなるのですが、こういったことは現状では怖くもあり言いづらいものです。
文化庁あたりでは産業方面にばかり関心が向いていますから、法律どおりの解釈で全て事が行くという態度を押し通していて、著作権法は交通ルールみたいなものだと単純に割り切っているような気配を感じますが、実際には合法と違法のあいまいなところで著作物利用が意味も無く断念されてしまう部分が無数にあります。
それでも「犯罪だからダメ」という程度で済ませてしまうところがとても残念なことです。

あくまでダメというならば、もう少しましな工夫をしていただきたいと思います。
私としては、死後起算という方法がすでに時代遅れであろうと思います。 ベルヌ条約で定められたこの計算方法は、著作物の種類も量も現代とは比べ物にならないほど少ない時代において決められたことですが、現代のように普通の人が気軽に著作物を創作し、公表できる時代においては、無駄が大きく合理性に欠けると思います。
もし全ての著作物を公表時起算にするのなら、保護期間が延長されてもよいと思います。
なぜなら公表時ならば後世の人々にとってもおおよその検討がつけられるからです。
かといって、今更死後起算を撤廃することも難しいです。
ですので、もし仮に保護期間延長がどうしてもやむをえないのであれば、死後起算をもって保護を受けたい著作者はその旨を公的機関に登録し、死亡した際には遺族等の申請によって死亡時期が公示される仕組みを検討していただきたいと思います。
著作者自らが自分の作品の保護期間を明らかにする義務を負わせなければ、100年どころかそれ以上の期間にわたって著作物が利用できなくなってしまいます。

つまり、自らの権利を積極的に保護したい人には、必要な情報を自分の意思と負担で公示する義務があってよく、そのような公示がない限りは公表時起算で計算すればよい、ということになれば、調査コストや無意味な利用制限がある程度抑止できるとおもいます。

要するに保護期間を確認するための登録制度を文化庁で設定していただきたいということです。
自分には権利があるのだといいながら、「ではいつ権利が消えますか?」と尋ねたら「知らない」と答える。そういう企業が現実にあります。権利は主張するけれど、損になることはやらない。権利消滅時期をうやむやにしてしまう。そういうずるい人間の後押しをしている一面を、現行著作権制度は持っています。
こういった不公平な部分は早急に改善すべきですが、そういう工夫をせずに、さらに保護期間を延長するということならば非常に残念でなりません。私は絶対に反対です。