2021年9月25日土曜日

湘南行って寒川神社

 秋分の日が近い9月20日、久しぶりに車で湘南方面へドライブしました。


海岸沿いは駐車場が閉まっていましたが、四之宮あたりでどうにか駐車スペースを確保しまして、波打ち際を散策しましたよ。



ここは金目川の河口付近です。

風がちょっと強めですが、青天に雲が少したなびいている。

ようやく、すがすがしい季節になりました。

30分ほど潮風にあたってから、相模川沿いに北上して寒川神社へ。


ここの神様は八方除けの守護神様だそうで、

私は八方除けとかは気にしたことがありませんけれど、

その点ではたいそう人気があって、

遠くから参拝される方が多いそうです。



祭神は 
寒川比古命 (さむかわひこのみこと)
寒川比女命 (さむかわひめのみこと)

 ようするに、<さむかわのかみさま>ですが、ならば「さむかわ」ってなに?

 ここ寒川町の神様?

ということではなくて、私は勝手に「さがむ川(相模川)の神様」と思っています。

さがむの国は、さがむ川の流域の国ですから、

結果的に「サガムの国の神様」ということであろうと。

ちなみに、のちの相模の国は、相模川流域である東部と、

西部にあった「磯長国」が大化以後に合併して成立したという話があります。



神社の創始時期は、どういう根拠かは知りませんが、
雄略天皇の時代だそうです。

埼玉の稲荷山古墳で「ワカタケルのおおきみ」の名が刻まれた

鉄剣が出土していますし、このおおきみが雄略天皇だとすれば

この時代の関東平野一帯の豪族がヤマト王権と深い絆が

あったと想像されます。

ということは、国家的な規模での祭祀制度の一端として

この神社が成立したのかもしれません。

サガムの国の豪族を大和王権が一括統治するうえで、

もともとは川の神様だったサムカワの神を

<相模の国の神>に格上げする必要があったのかな。

つまり、この神社の祭祀者は相模の国の間接統治者だったかなと。

歴史的情報が少ない神社ですが、

かなり古い時代から祀られていた神様なのでしょう。

さて。そんな妄想をしつつ帰宅しまして。

途中の「かねだい(ペットショップ)」で

買い物してから帰りました。

それから水槽を手直しして、こんな感じにしました。